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日本の未来

グローバル化に邁進する日本の未来に危機感を抱く者です。歴史認識を正して日本人としての誇りを培いたいと願っています。体験にもとづく本音トークも交えます。

村田良平氏の遺言に見る「村山談話」の異常性


村山談話について
『何処へ行くのか、この国は』(2010年 村田良平著)
~元駐米大使、若人への遺言~

に、明快な反論が述べられていたことを思い出し、読み直してみました。

これについては、昨年の1月にも、拙ブログで概要を取り上げていますが、今回は、重要な問題点を明確にしながら、なるべく本文全体を引用します。



●日本は、1951年9月8日のサンフランシスコ平和条約および、戦争処理に関わる条約や協定の締結で、過去の日本軍の行動に対する精算は終了している。

日本の具体的戦後処理(賠償、財産・請求権問題)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/shiryo/shiryo_06.html

このことは、日本政府は、もはや戦争に関して、外国に対し公式の謝罪を表明する必要がなくなったことを意味する。世界史を紐解いても、戦後の賠償を済ませていながら、50年も経って謝罪した例など、一つもない。


南京事件について、深く研究が進み、全貌のおおよそが明らかになっているにも関わらず、「多大の損害と苦痛」という誤解を招きやすい文言を使っている。

●「侵略」という語については、第二次世界大戦後、国際連合その他の場で議論され、結局結論が出なかったにもかかわらず、同談話では、これを安易に使っている。 

●平和条約締結後も、政府首脳の公式訪問の際には、国を代用して遺憾の意を表すことはあった。
1992年の天皇陛下訪中の際のお言葉では、「日中間に過去に不幸な一時期があったことを深く悲しみとする」とお伝えになった。この3年後に重ねて村山談話が出されたこと自体が驚きである。日本から最高レベルで、遺憾の意をすでに表明されていたからだ。

●「村山談話」は、当初まず国会衆議院本会議において謝罪決議として付議され、総員509人中265名の議員が欠席し、半数をかなり下回る230名の議員のみが賛成してやっと決議は成立した。

私は、この決議に賛成した全ての議員は愚者であったと考える。戦死者、遺族の立場に立って考えた人々はいたのか。1941年、日本がやむを得ずとして必死の戦争を開始した際の責任者の苦悩を共感してみようと思った人はいたのか。

参議院では、何の決議選択も試みられなかった。

●国会両院の多数の支持がそもそも無い状況で出されており、またいずれの国も何の注目に値する評価も行わなかったから、これは日本の無用の自虐行為以外の何ものでもなかった。

● 中国、韓国が、この日本の愚行を先々外交上の対日圧力に利用しようと考えただけだったのだ。故会田雄次先生がいみじくも言われたように、日本の中国と韓 国、北朝鮮に対するこの種の謝罪は、媚(こび)以外のものではなくなっているのだ。相手をつけあがらせるのみである。これ位のセンスをどうして外交の責任 を持つ外務省の事務レベルが持てなかったのか。野坂官房長官、河野外相、川島アジア局長、古川官房副長官は重大な責任を免れない。

●原爆や焼夷弾攻撃で殺戮された人々を代表する権利など、村山総理にはない。村山であれ誰であれ、海没しあるいは餓死した将兵を含む240万の英霊と80万の民間の犠牲者の名において、他国に「痛切な反省とお詫びの念」を表明することなど決して許されることではないのだ。


◎日本国民は、60年以上前に終わっている大東亜戦争について、謝罪めいたことを述べるのを、今後一切やめるべきである。

◎はっきりしておくべきは、村山談話は、村山内閣の閣議決定であり、村山内閣一代を拘束するものであって、それ以後の総理は、まったくこれにしばられないということだ。

◎先方の要求があっても入れるべきものではない。

ーーー小泉総理が2005年のバンドン会議でこれに言及したのは、もとより不要であるばかりでなく、場違いですらあった。

◎今後外務省は明確に「日本の謝罪は十二分に済んでいる」との信念の下に仕事をしてもらいたい。

◎幸いその後の日中間の公式文書には同談話は引用されていない。

★私が述べたことに対して、アジアの心を理解していない等の反発はあるかもしれない。だが、私は全く正常な精神の持ち主と自負している。