読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日本の未来

グローバル化に邁進する日本の未来に危機感を抱く者です。歴史認識を正して日本人としての誇りを培いたいと願っています。体験にもとづく本音トークも交えます。

安倍教育改革の問題点(1)


『安倍「教育改革」はなぜ問題か』
藤田英典著 岩波書店 2014年11月27日発行)

の中から、共感した点について、テーマを絞ってご紹介します。


● 学歴主義と受験競争が深刻化する傾向の強い教育風土や、学校選択制の制度的特質を踏まえるなら、
学校選択制の導入・拡大やエリート的な中高一貫校中等教育学校の新増設》は適切な政策とは言えない。

● 橋下大阪市長の場合と同様の独善性と横暴・暴走という捉え方が、現在の安倍政権にも当てはまる。

● 教職員・学校現場の管理・統制の強化とその背後にある理不尽な学校批判・教師批判は、
教師間の同僚性や協調性の基盤を切り崩し、
中長期的には教師のモラルと学校全体のパフォーマンスの低下を招く危険性がある。



【道徳を評価することの問題点】

児童生徒の「道徳性」を評価するために、教師は多種多様な方法による情報を日常的に収集・蓄積することが望まれるとしているが、これは教師に膨大な作業負担を強いることになりかねない。

生徒も日常的に絶えず監視されることになりかねない。

評価基準がわかりにくく、恣意的であるとか偏っているといった、不満や不信感が生じかねない。

「人格全体にかかわるもの」を評価することが必要なのか、可能なのか。そのような愚を犯してまで、道徳を教科にする必要があるのか。

愛国心や郷土愛も含めて道徳は、教え込むものではなく、
学校の内外での生活と種々の活動・経験を通じて育まれるものである。
その育みが豊かなものとなるためには、安心・安全が確保された環境で、おおらかに過ごすことが重要である。
そして、そのためにも、誇りに思える、適切な配慮とケアに充ちた豊かな環境(学校・家庭・地域社会・国民社会)づくりが肝要である。
その基本を疎かにして、無闇に教え込もうとするようでは、子供たちの将来も日本の未来も危うくなるであろう。




拙ブログでもずっと以前「道徳教育」のあり方について考えたことがありましたが、今回藤田氏の著書を読んで、政府の方針に対して、改めて疑問を持ちました。数年後から小・中学校共に「教科化」が始まるようですが、できることなら阻止したいものです。

道徳の教科書が新たに編纂され、古今東西の人々から、人間として如何に生きるべきかを真剣に学ぶというのは、とても意義深いことだと思います。けれども、道徳を「教科化」して、児童生徒の生き方や考え方を「評価」の対象とするのには、賛同しかねます。

そ れよりは、従来各学校及び担当者の裁量に任されて、手薄になりがちだった道徳の授業時間を確保した上で、年間に何回か研修の機会を設けて、教科書の活用の しかたを実践を通して教師同士が学び合うことのほうが、よほど大切だと思います。児童・生徒にその輪を広げて充実した意見交換を行うことで充分ではないで しょうか。

教師の役割は、一人ひとりの評価を悩みながら膨大な時間をかけて行うことより、自分自身が読書やボランティア体験や、家族との 団らん等を通して、輝いて生きることを目指し、児童・生徒に確かな人生観を、あるいは熱く、あるい切々と語りかけることの方が優先されると思います。

道徳教育の成果は、速攻的にあらわれるものではないはずです。ましてや、一教師が多数の対象をランク付けすることなど、不可能なのではないでしょうか。