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日本の未来

グローバル化に邁進する日本の未来に危機感を抱く者です。歴史認識を正して日本人としての誇りを培いたいと願っています。体験にもとづく本音トークも交えます。

【憲法9条】の発案者は、幣原(しではら)首相!


「お仕着せ憲法」という言い回しが、人口に膾炙してしまっていますが、主たる争点である「憲法9条」は、日本人の発案であったことを遅れ馳せながら知りました。

昨日偶然「高橋是清」というテレビドラマを一部見たのですが、是清が、「軍事予算が増加するのを、何とかして防ぎたい」というような旨を発言し、軍部の恨みを買い、暗殺に至った経緯が、簡潔に描かれていました。

戦前のこうした状況からすれば、やはり戦後「平和主義」を掲げたのは、大正解だったと言えるでしょう。少なくとも軍事予算を如何に減らすか、で頭を悩ませる必要がなくなったのですから。日米間の問題は別として・・・

け れども、いつかNHKのアサイチという番組の中で、岸恵子さんがお孫さんの自慢話をされる場面で言われたことには、異議があります。「うちの孫は頭がいい と思うんです、なぜって『日本人がノーベル賞をたくさん取るのは当たり前だ。だって軍備に予算を使わなくていい分、研究費に十分回せるのだから・・・』な んて賢い発言をするのです」ーーー詳しいことは存じませんが、これは事実に反しているのでは?と思いながら聞きました。


ウィキペディア 「幣原 喜重郎(しではら きじゅうろう)」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%A3%E5%8E%9F%E5%96%9C%E9%87%8D%E9%83%8E

GHQマッカーサーと1946年1月24日に会談。この日のマッカーサーとの会談で平和主義を提案する。天皇制の護持と戦争放棄の考えを幣原の側からマッカーサーに述べたとされる。その前の12月、幣原は風邪で倒れ、病床で「つくづく考えた」のであった。

幣原の憲法草案が保守的でGHQから拒否されたというのは、誤解であり、GHQから拒否されたのは、幣原・マッカーサー会談の後に出来た国務大臣松本蒸治を長とする憲法問題調査会(松本委員会)がまとめた「松本案」である。



「バーソは自由に」

http://barso.blog134.fc2.com/

日本国憲法の制定過程には、GHQの押し付けがあったことは確かです。
しかし草案自体は、明治以来の自由民権運動家たちの思想をベースに、実質的には日本人が作ったようなものだ、という強い主張があります。

(ちなみに帝国議会衆議院は、賛成421、反対8の圧倒的多数で可決)


マッカーサーの証言。


(1946年1月24日に)日本の幣原首相が私の所にやって来て言ったのです。
私は長い間熟慮して、確信しました。―――彼は非常に賢い老人で、最近亡くなりましたが―――この問題の唯一の解決は戦争を無くすことだという確信に至りました」。
 
彼は言いました。「私は非常にためらいながら、軍人であるあなたのもとにこの問題の相談に来ました。何故ならあなたは私の提案を受け入れないだろうと思っているからです。しかし私はいま起草している憲法の中に、そういう条項を入れる努力をしたいのです」。

それで私は思わず立ち上がり、この老人の両手を握って、それらは取られ得る最高に建設的な考えの一つだと思うと言いました。

私 は彼にこうも言いました。「世界があなたを嘲笑うことは十分にあり得ることです。ご存知のように、今は栄光をさげすむ時代、シニカルな時代なので、彼らは その考えを受け入れようとはしないでしょう。その考えは嘲りの的となることでしょう。その考えを押し通すには大変な道徳的なスタミナを要することでしょ う。最終的には彼らは現状を守ることは出来ないでしょうが」。

こうして私は彼を励まし、日本人はこの条項を憲法に書き入れたのです。
その憲法の中に何か一つでも日本の民衆の一般的な感情に訴える条項があったとすれば、それはこの条項でした。

(アメリカ上院軍事・外交合同委員会聴聞会記録 1951.5.5)



この信憑性については、枢密顧問官・大平駒槌など日本側証言もあるようです。
小海キリスト教会の水草修治さんはこう述べています。

日本国憲法の三大原則は<国民主権基本的人権の尊重平和主義>であるが、前の二つの原則は、明治の自由民権運動憲法案(特に植木枝盛)を研究した鈴木安蔵が起草した憲法研究会案が出典であり、第三原則は時の総理大臣 幣原喜重郎の発案である。これらがGHQによって英訳され肉付けされて、GHQ草稿日本国憲法が作られ、これを日本政府が邦訳した」

http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20121217/p1